タイトル | 使徒職の継承 |
聖書 | 使徒の働き1:21~26 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「使徒職の継承」というテーマで、聖霊降臨の前、イスカリオテのユダが欠けて11人になった使徒の欠員を補うためになされた、使徒の補充の出来事から、使徒職の大切さと、現代の私たちが継承すべきことを学ばせていただきたいと願っています。
使徒の働き1章21〜22節
21 ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、
22 すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、わたしたちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
(新改訳第三版)
まず、なぜ使徒は十二人必要だったのかということを考えましょう。
マタイ19:28「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。」
使徒はイエス様が栄光の座に着かれるとき、十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくという大切な働きが与えられています。ですから、使徒は十二人いることが必要になります。ペテロたちは、ユダが使徒職を離れてしまったので、欠員を補うことを提案しました。
このときに提案された使徒の条件は、ヨハネのバプテスマから、イエス様が昇天されたときまで、ペテロたちと行動をともにした人です。つまり、直接自分の目と耳で、イエス様の教えを聞き、また、イエス様のみわざを見てきた人、特に、イエス様の十字架の死と復活を目撃して、イエス様がまことの神様であること、約束のメシアであることを知った人です。そして、使徒に与えられた使命は、イエス様の復活の証人となることです。
使徒の働き1章23〜26節
23 そこで、彼らは、バルサバと呼ばれる別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。
24 そして、こう祈った。「すべての人の心を知っておられる主よ。
25 この務めと使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きましたから。」
26 そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた。
(新改訳第三版)
ペテロが提案した使徒の条件を満たした人は、バルサバと呼ばれる別名をユストというヨセフと、マッテヤの二人でした。人間が判断できるのは、目に見えることだけです。ペテロたちと一緒に行動して、イエス様の復活を目撃したのは誰なのかということは、自分たちでも確かめることができます。しかし、その中で、誰が使徒にふさわしく、イエス様を愛してきたか、忠実な弟子として従ってきたのかというその人の心までを知っておられるのは主だけです。
ですから、彼らはすべての人の心を知っておられる主に、どちらが使徒としてふさわしいのかを、選んでいただくためにお祈りし、二人のためにくじを引きました。その結果、マッテヤが使徒に任命されました。
イエス様から権威を授けられ、直接教えを受けた使徒たちは、イエス・キリストの復活の証人としての働きだけでなく、新しく救われた人たちを養い育てる教会の土台としての働きを担うようになりました。やがて、使徒たちが、エルサレムからユダヤ、サマリヤ、地の果てまでも福音を宣べ伝えるようになると、エルサレム教会では、主の兄弟ヤコブなど、それぞれ遣わされるところで、使徒としての権威が聖霊によって授けられました。そして、パウロのように、異邦人のための使徒としての権威が授けられる人も現れました。
しかし、現代において使徒として任命される人はいません。なぜなら、教会の土台はすでに造られているからです。イエス・キリストという礎石の上に、使徒と預言者が土台となり、教会は建てられ、現代に至ってています。一人のキリストを礎石とし、同じ教えを受けた使徒たち、また、預言者たちによって伝えられた神様のみことが、教会の土台となっているので、現代において、世界中の教会は一つになることができます。
私たちは使徒ではありませんが、イエス様を信じたことによって、イエス様の弟子としていただいています。イエス様の復活の証人として、人々に証しすることが任されています。この使徒に与えられた使命は、私たちの世代で終わらせて良いものではありません。必ず、その働きは、次の世代、また次の世代の弟子たちが継がなければなりません。
私たちも自分に与えられた働きを行いながら、次の世代の弟子たちへ、キリストの証人としての働きを継承してまいりましょう。そのために、聖霊様の助けをいただき、後に使徒になったパウロのように復活のイエス様との交わりを持ち、イエス様を愛して従ってまいりましょう。使徒としてイエス様の復活を証しするのではありませんが、使徒たちと同じ信仰を持って、イエス様の復活を力強く証ししていきたいと願います。
22節 わたしたちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。