
タイトル | 一つの群れ、ひとりの牧者 |
聖書 | ヨハネ10:16~18 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは「一つの群れ、ひとりの牧者」です。
イエス様は、ご自身が良い羊飼いであるとおっしゃいました。イエス様は、ご自身に聞き従うすべての人を、いのちに導いて永遠に養ってくださいます。そのために、良い羊飼いが命がけで羊を守るように、イエス様はすべての人のためにいのちを捨てるとおっしゃいました。ここでイエス様は、まずイスラエルの民のことをご自身の羊とおっしゃっています。なぜなら、イスラエルの民は、主がアブラハムをお選びになってから、主が彼らの神となり、イスラエルの民は神の民となる契約がなされていたからです。しかし、イエス様は、ここで異邦人もご自身の羊であるとおっしゃっています。ですから、この箇所は、異邦人である私たちにとってとても重要なみことばですので、しっかりと覚えましょう。
ヨハネの福音書10章16節
16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。
(新改訳第三版)
この囲いに属さないほかの羊とは、異邦人のことです。イエス様は異邦人をも導かなければならないとおっしゃいました。このことから、イエス様はすべての国民に対して愛を注いでおられることがわかります。滅びに向かっているのは、ユダヤ人も異邦人も同じです。また、創り主である神様の御目からご覧になったとき、ユダヤ人も異邦人も同じように効果で尊い存在です。だからこそ、イエス様は異邦人をも導かなければならないとおっしゃいました。
そして、異邦人もイエス様の御声に聞き従うようになるということを、ここで宣言しておられます。異邦人は、すでにさまざまな宗教を作って信仰していたのですが、イエス様が異邦人にも恵みを施し、御声をかけてくださるとき、異邦人もイエス様の御声を聞いて従うようになると宣言しておられます。事実、現在世界中で多くの人々がイエス様を救い主と信じています。そのような信徒が、御霊によって一つの群れになると宣言されています。それが、キリストのからだである教会です。世界中に多くの教会がありますが、どれもキリストのからだの部分です。そして、キリスト・イエス様が教会の頭であり、また、牧者となって信徒一人ひとりを導いてくださいます。
ヨハネの福音書10章17~18節
17 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。
18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」
(新改訳第三版)
17節は、父なる神様が条件付きでイエス様を愛しておられるように誤解する人がいるかもしれません。しかし、ここで父なる神様がイエス様を愛されるというのは、高く引き上げてくださるということです。そう考えると、イエス様が十字架でいのちを捨ててくださり、墓に葬られたのち、父なる神様がイエス様を高く引き上げてくださったことを思い出します。イエス様は、数か月後、十字架の死と復活により、異邦人にも救いの恵みを与えて神の民に加え、すべての人を導く羊飼いとなってくださいました。
そして、イエス様は自分からいのちを捨てるということを強調されました。イエス様が十字架に架けられていのちを捨てられたのは、ユダヤ人の妬み、ユダの裏切り、不当な裁判、ローマによる死刑執行など、さまざまなことが関係していますが、最終的にいのちを捨てるということは、いのちに関して権威を持っていなければできないことです。イエス様は、「わたしはよみがえりです。いのちです。」とおっしゃったように、いのちであるお方、いのちの源であるお方です。だからこそ、イエス様はいのちを捨てる権威を持っておられ、また、再び得る権威も持っておられます。イエス様は、父なる神様から、すべての人の罪を背負って十字架でいのちを捨てて、すべての人の罪を贖うために地上に遣わされました。そして、復活によってイエス様を信じるすべての人に、永遠のいのちを与える新しい契約をするために、父なる神様から遣わされました。そして、その使命をイエス様は完了して、ユダヤ人と異邦人を一つの群れとし、ご自身がひとりの牧者となってくださっています。
ヨハネの福音書10章16節
彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。
(新改訳第三版)
イエス様は、全世界の人を永遠の滅びから救ってくださるお方です。そして、すべての人を一つにしてくださるお方です。霊においてすべての人が一つにされたなら、そこには争いはありません。みんながイエス様の御声に聴き従うようになれば、だれも滅ぶこともなく、飢えることも渇くこともありません。
私たちは、本来神様から離れ、天国の希望などなかった者ですが、イエス様は、このような者にも御目を留めてくださって、御声をかけてくださいます。その御声をしっかりと聞いて従い、全世界のクリスチャンが、イエス様に従う一つの群れであることを覚えましょう。今年、多くの方が徳島県に福音を伝えるために来てくださっています。これは、私たちが一つの群れだからです。私たちもその群れの一人であることを覚えて、イエス様に聞き従って神様の栄光を現わす者としていただきましょう。