タイトル | イエス様誕生の奇跡 |
聖書 | ルカ2:1〜7 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「イエス様誕生の奇跡」というテーマです。
クリスマスは、奇跡に満ちた出来事ですが、イエス様がお生まれになったときも、普通では考えられないようなことが起こっています。それは、神様が預言を成就するためになさった不思議な出来事です。今日は、神様が示してくださった奇跡を通して、神様はご自身の民だけでなく、この地上のすべての人を知っておられ、ご自身の計画のためにあらゆる人を用いられるということ、また、お生まれになったイエス様が私たちを招くために来られたことを、ご一緒に学ばせていただきたいと願っています。
ルカの福音書2章1〜5節
1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
(新改訳第三版)
1節と2節の情報から、ローマ皇帝はアウグストの時代です。そして、クレニオがユダヤ人を統治するシリアの総督だったときに行われた最初の住民登録のときに、イエス様がお生まれになりました。このような情報から、イエス様がお生まれになった時を、ある程度特定することができます。つまり、イエス様の降誕は歴史的な事実であり、イエス様が実在の人物であることがわかります。
この住民登録は、それぞれ自分が属している家がある町で登録しなければなりませんでした。ヨセフは、自分がダビデの家系でしたから、ベツレヘムというダビデの町へ上って行きました。妻であるマリヤもダビデの家系ですから、いっしょに登録するために、ヨセフはナザレからベツレヘムへ向かいました。実はこの住民登録によって、救い主はベツレヘムで生まれるという神様の約束が成就されることになりました。なぜなら、もうすぐ赤ちゃんが産まれそうになっている妊婦が、わざわざ150㎞ほど離れた町へ旅をすることなどありえないからです。貞光からなら明石海峡大橋を渡ったあたりでしょうか、それほど遠くまでマリヤが旅をすることになったのは、神様がなさった奇跡です。
ルカの福音書2章6~7節
6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
(新改訳第三版)
ナザレを出発した時には、すでに赤ちゃんが産まれそうだったマリヤは、ベツレヘムにいる間に出産しました。生まれた赤ちゃんは、御使いに告げられた通り男の子でした。ただ、マリヤが出産した場所は、普通の家ではないことが、「宿屋には彼らのいる場所はなかったからである」ということ、また、生まれたばかりの赤ちゃんを布にくるんで飼い葉おけに寝かせたことから伺い知ることができます。
飼い葉おけがある場所は、家畜小屋です。当時のベツレヘムで飼われていた家畜というと羊でしたから、おそらく羊小屋でしょう。また、羊飼いたちが使った羊小屋は、自然の洞窟を利用していたので、マリヤが出産した場所も、羊小屋として利用されていた洞窟だと考えられます。ベツレヘムの羊飼いたちが利用した洞窟は、町で人が亡くなった時のために、遺体を包む布が常備されていたそうです。ですから、マリヤが赤ちゃんを産んだ時にも、洞窟には遺体を包むためのものではありましたが、布がおいてあり、飼い葉おけを、赤ちゃんを寝かせるベッドとして使うことができました。イエス様は、生まれてすぐに遺体を包む布にくるまれ、羊の餌のように飼い葉おけに寝かされるという、普通では絶対にありえない状態で、この世にお生まれになりました。しかし、生まれたばかりの赤ちゃんが飼い葉おけに寝かされているという奇跡的な出来事が、羊飼いたちとって救い主がお生まれになったというしるしになりました。
ルカの福音書2章6~7節
6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
(新改訳第三版)
今日、私たちが覚えたいことは、イエス様がお生まれになったところが、ベツレヘムの家畜小屋であり、布にくるまれ、飼い葉おけに寝かされたという奇跡を覚える時、いと高きお方であるイエス様が、私たちよりもはるかに低いところまで下ってきてくださったということです。それは、イエス様がすべての人の悲しみや苦しみを知ってくださるため、また、すべての人がイエス様に会うことができるためです。立派な王宮では、貧しい羊飼いたちだけでなく、一般市民ですら、イエス様にお会いすることはできませんでした。ところが、扉もない家畜小屋なら、だれでもイエス様の御許に近づくことができました。また、地面に置かれた飼い葉おけという低いところに寝ておられたことで、だれもが顔と顔を合わせて、イエス様を拝することができました。イエス様は、このようにあらゆる人を御許に招くために、最も低いところまで降りて来てくださいました。
また、羊を生かすために与える餌を入れる飼い葉おけに寝かされたイエス様は、すべての人のいのちの糧となるため、ご自身を与えくださったことを象徴しています。イエス様は私たちを愛して、この世の最も低いところまで来てくださいました。それは、私たちを御許に招き、永遠のいのちを与えるためです。私たちも、このイエス様の愛を覚え、イエス様の御許にとどまらせていただきましょう。そして、いつもイエス様の御顔を拝して、愛と平和で満たしていただきたいと願います。