2020年9月20日「愛と信頼を得たダビデ」木下淳夫 師

タイトル愛と信頼を得たダビデ
聖書1サムエル18:1~9
説教者木下淳夫師

 

 今日は、「愛と信頼を得たダビデ」というテーマです。私たちは、生活する中で人間関係で悩むことがあるかと思います。それは現代だけの問題ではなく、今から3000年前のイスラエルでも同じような問題がありました。その中で、父親や兄弟からは冷たく扱われていたダビデが、人々から愛され、信頼されるようになっていったのか、また、逆に信頼を失ったしまったサウルの問題はどこにあったのかを学んで、私たちも人々から愛と信頼を得る生き方をしたいと願っています。

 では、ダビデが愛と信頼を得ていたことを聖書から見てみましょう。

サムエル第一18章1〜4節

1 ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。

2 サウルはその日、ダビデを召しかかえ、父の家に帰らせなかった。

3 ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。

4 ヨナタンは、着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。

(新改訳第三版)

 ダビデは、ペリシテ人の戦士ゴリヤテを倒した後、サウルに召しかかえられました。そこで、サウルの息子ヨナタンと、ダビデには強い絆が生まれました。同じイスラエルの民、主の民として、主を愛し、主のために戦う戦士として、また、信仰の友として、二人には共感するところがあったのでしょう。

 ただ、この二人の関係ですが、先日まで羊飼いだったダビデと、王の息子であるサウルでは、あまりにも身分が違います。ところが、ヨナタンは、そのような身分の違いなど気に留めることはなく、ダビデを自分と同じほどに愛し、ダビデと契約を結びました。この契約の内容は記されていませんが、ヨナタンが着ていた上着を脱ぎ、それをダビデに与え、自分の鎧兜、剣、弓、帯までダビデに与えたことから、ヨナタンがどれほどダビデを信頼し、友として大切にしていたことがよくわかります。

サムエル第一18章5〜7節

5 ダビデは、どこでもサウルが遣わす所に出て行って、勝利を収めたので、サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての民にも、サウルの家来たちにも喜ばれた。

6 ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。

7 女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」

(新改訳第三版)

 サウルも、ダビデの活躍を喜びました。劣勢だったペリシテ人との戦いでしたが、ダビデがゴリヤテを倒したことにより、勝利がもたらされたのですから、サウルも大変喜びました。そして、ダビデの力を見込んで、その後もいろいろな戦いにダビデを遣わしました。そして、ダビデは遣わされたところで勝利を収めたので、サウルはダビデを戦士たちの長に任命しました。それほど、サウルもダビデを戦士として高く評価し、信頼していました。

 また、サウルだけでなく、民もサウルの家来も、ダビデが戦士たちの長に任命されたことを喜んだことから、彼らもダビデを認め、信頼していたことがわかります。

 さらに、町の女性たちもダビデの活躍を、とても喜んでいたことがわかります。

 ただ、この女性たちの喜びが、サウルの心に大きな変化を起こさせることになってしまいました。

次は、ダビデに嫉妬したサウルの問題点に注目しましょう。

サムエル第一18章8〜9節

8 サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」

9 その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。

(新改訳第三版)

 サウルは、女性たちが「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」と歌っているのを聞いて、非常に怒りました。家臣であるダビデが、王である自分よりも高く評価されていることが面白くありませんでした。それだけでなく、ダビデが自分の王位までも奪おうとしているのではないかと疑うようになりました。

1サムエル16:14「主の霊はサウルを離れ、主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。」

 サウルは主に選ばれ王になったのですが、自分の欲のために主の命令に逆らい、主はサウルを退けてしまわれました。そのためにダビデが新しい王として選ばれ、サウルは、わざわいの霊によっておびえる日々が続くようになっていました。つまり、主の戒めを守らず、自分勝手な生き方をすること、罪の道を歩むことは、わざわいを招き、平安を失い、人に対しても疑いを持ち、嫉妬するようになるということです。

ヨハネ15章14節
わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。

 ヨナタンは、父サウルのしもべだったダビデを自分と同じように愛しました。イエス様は、弟子たちをしもべとは呼ばす、友と呼び愛を注がれました。その愛は、信仰によりイエス様に従う私たちにも注がれています。また、私たちをも友と呼んでくださいます。イエス様と私たちの関係は、ヨナタンとダビデのように、不釣り合いな関係です。しかし、ヨナタンがダビデと契約し、自分の持ち物を分け与えたように、イエス様はご自身のいのちまでも、私たちに与えてくださり、私たちを神様の子どもにするという契約をなしてくださいました。

 ダビデが人々から愛と信頼を得た理由は、ダビデがまず主を愛し、主に愛されていたからです。ダビデは、いつでも、どこに遣わされても、変わることなく主のしもべとして、主の戦士として忠実に戦い続け、勝利を収め、人々から信頼を得ました。私たちも、イエス様が命じられたことを忠実に行ってまいりましょう。イエス様は、私たちを友と呼んでくださり、父なる神様の御心を、聖書を通して知らせてくださっています。また、助け主である聖霊様を与えてくださっています。イエス様のご愛を疑うことなく、信仰に堅く立ち、だれからも愛され、信頼される歩みをしていきたいと願います。