2025年12月28日「なぜ福音を宣べ伝えるのか?」木下淳夫 師

タイトルなぜ福音を宣べ伝えるのか?
聖書1コリント1:21~25
説教者木下淳夫師

 今年は年初に、「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」というみことばが与えられ一年間導かれました。礼拝でも繰り返し、イエス様の十字架から目を離さない、イエス様の十字架に立ち返ることをお話してきましたので、皆さんも十字架を意識して過ごすことができたと思います。そして、今年最後の礼拝では、もう一度年初に与えられたみことばを再確認して、なぜ十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのか、なぜ福音を宣べ伝えるのかということを覚えて、イエス様の弟子として仕えていきたいと願っています。

コリント人への手紙第一 1章21~25節

21 事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

22 ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。

23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

25 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

(新改訳第三版)

 私たちは人から話を聞く時、自分が興味があることだったり、有益な情報には積極的に耳を傾けるでしょう。このようなことから、伝道するときも、有益な情報を伝えようとして、キリスト教の教理を話すことがあるかもしれません。その結果、宗教論争になってしまって、話を聞いてもらえなくなったという経験をお持ちの方もいるのではないでしょうか。

 聖書は、人間的な知恵によっては神様ご自身を知ることができないと言っています。神様を知ると言うことは、神様の御許に立ち返る、つまり救いに与ると言ってもいいでしょう。これは人間同士の関係を考えても同じことが言えます。初めてあった人と友達になりたいと思い、相手のことを自分でいろいろ想像しても仲良くなることはできません。相手が自分のことを話してくれなければ、相手を正しく知ることはできません。

 多くの人は、目に見えない神様を知ること、神様の御許に立ち返り天国に入れていただく方法を、自分でいろいろ考えます。その結果、この世界にはたくさんの宗教や思想が生まれています。しかし、それらは人間が作り出した神々であり、また、救いの方法です。神様がどのようなお方であるのか、また、救いに与るにはどうすればいいのかは、神様ご自身に啓示していただかなければ、人間にはわかりません。聖書は、人間が神様を知ることができるようになるため、神様が定められた方法が、宣教のことばであると教えています。当時のユダヤ人たちは、さまざまな奇跡を通して神様を知ろうとしました。イエス様がさまざまな奇跡を行われたのは、そのようなユダヤ人たちの性質があったからです。また、ギリシャ人たちは、自分たちの知恵を通して神様を理解しようとしました。どちらも、自分の常識で理解できる方法を求めていたと言えるでしょう。

しかし、神様がお選びになった方法は、宣教のことばを聞いた人たちが、自分たちの常識で理解できるような言葉で神様を伝えるのではありませんでした。また、驚くような奇跡を示して、神様を崇めることも求めませんでした。十字架に架けられたイエス様を救い主と信じて従うなら、だれもが永遠のいのちを受け取ることができるという、どちらかというと、愚かと思えるようなことばを通して、信仰によって応答する人を救いに導くことを、神様は約束してくださいました。

 ですから、私たちはキリスト教の教理を人々に教えるのではなく、十字架につけられたキリストご自身を宣べ伝えます。イエス様を信じているという人の中にも、もしかしたら十字架のキリストを宣べ伝えることは愚かだと思う人がいるかもしれません。聖書も異邦人にとっては愚かだと言っているので仕方ないかもしれません。しかし、ここで信仰が必要なります。なぜなら、神様の愚かさは人よりも賢く、神様の弱さは人よりも強いからです。

コリント人への手紙第一 1章23節

私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。

(新改訳第三版)

 伝道にはさまざまな方法があります。しかし、目標とすることは一つです。それは十字架につけられたキリストを宣べ伝えることです。逆に言うなら、この目標からはずれた集会は伝道にはなりません。来年もいろいろな伝道集会を計画すると思いますが、十字架につけられたキリストを宣べ伝えるという目標をしっかりと確認しましょう。そして、神様は、十字架の福音を通して信じる者を救おうと定めておられることを覚えて、最初からあきらめずに十字架を指し示してまいりましょう。ことばで伝えることが苦手な人は、トラクトでも構いません。福音を伝えるYoutubeのサイトを紹介することもいいと思います。信仰を示すグッズを身につけておくのも十字架を指し示す一つの方法です。教会に足を運んでもらえるなら、クリスチャンの交わりを経験してもらうことができ、その中でイエス様の愛を感じることができるでしょう。

 こんな方法で人が来てくれるはずがないとあきらめずに、神様は宣教のことばの愚かさ通して、信じる者を救おうと定めておられることを再確認して、キリスト教の知識ではなく、十字架につけられたキリスト・イエス様を宣べ伝えてまいりましょう。もちろん、宣べ伝えるためには、自分がイエス様の十字架を見ていなければなりません。イエス様とともに歩んでいなければなりません。イエス様とともに歩んでいるなら、たとえキリスト教の知識を知らなくても、キリストの愛を伝えることができます。それこそが、神様が定められた救いの方法です。