2026年5月10日「信仰によって得られるもの」木下淳夫 師

タイトル信仰によって得られるもの
聖書1ペテロ1:6~9
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「信仰によって得られるもの」です。

 日本ではクリスチャンが少ないので、私たちが毎週教会に行くことを不思議に思う人もいるのではないでしょうか?確かに、家内安全、商売繁盛のようなご利益を前面に出していないので、教会に行けばどんないいことがあるのかと考える人もいるでしょう。

 皆さんは、そのようなご利益を求めていることはないと思いますが、今日は聖書のみことばから、信仰によって得られるものを再確認し、与えられている恵みに感謝したいと願っています。

ペテロの手紙第一 1章6~9節

6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、

7 試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。

8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。

9 あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。

(新改訳第三版)

 この手紙を受け取った信徒たちは、信仰のゆえに苦しみを受けていました。多くの人は、人生において試練などないことを望みます。しかし、実際にはだれの人生にもいくつかの試練が存在します。そのような試練に直面した時、ある人は「イエス・キリストを信仰していても、こんなつらい思いをするのなら、信仰などしないほうがましだ」と思うかもしれません。また、「神様が私たちを愛しておられるのに、試練に遭わせるなんておかしい」と文句を言うかもしれません。ペテロは、そのように苦しみの中にある兄弟姉妹に、信仰による試練の意味を教えています。

 この世で高価な金属である金は、火で精錬することによって純度がまし、さらに価値が増します。その精錬された美しい金は、持っている人を輝かせます。しかし、そのような金であっても、永遠に存在するものではありません。この世の終わりが来るとき、精錬された金であっても朽ちることになります。つまり、この世のどんな高価な物も、この世の終わりの時、イエス・キリストが再臨される時に、その人の価値を高めることはできません。

 しかし、信仰による試練に耐え、キリストに従い続けることによって、金が火で精錬されるように、経験している苦難は、私たちに忍耐を生み出します。そして、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出します。その希望こそ、イエス・キリストが現れるときに神様から与えられる、称賛と栄光と誉れです。

 この手紙を受け取った兄弟姉妹たちは、試練の中で苦しんでいました。しかし、彼らはイエス・キリストを見上げることによって大いに喜んでいました。確かに、彼らはイエス・キリストを見たことはありません。けれども、彼らはイエス様を愛していました。イエス様を第一として、使徒たちから伝えられた主のみことばに聞き従う生活をしていました。彼らは目には見えませんが、イエス様が共におられることを信じて、試練の中でも栄えに満ちた喜びに踊っていました。

 彼らが試練に遭っているにもかかわらず、普通の人では考えられない喜びを持っていたのは、彼らが信仰の結果であるたましいの救いを得ていたからだと、ペテロは教えています。

ペテロの手紙第一 1章8節

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。

(新改訳第三版)

 当時の信徒と同じように、私たちもイエス・キリストを生けるまことの神様、私たちの救い主であると信じて従うなら、たましいの救いを得ると主なる神様は約束してくださっています。ただ、たましいの救いは、目に見えるものではありません。物質的に何かが変化するわけでもありません。しかし、信仰によって与えられるたましいの救いによって、私たちの人生観は大きく変化します。

 イエス様を知るまでは、死んだらすべてが終わりと考えていたかもしれません。あるいは、漠然と天国があると考えていたけれども、どうやって天国に行くのかわからないでいたことでしょう。しかし、たましいの救いを得たことによって、私たちはこの世の生涯がすべてではなく、この世を離れてからもたましいは滅ぶことなく、命を与えてくださった父なる神様がおられる天国に招かれ、いつまでも神様の愛の中で生きることができる希望を与えられました。

 それなのに、信仰していても喜びがない、不安しかない、不平不満しか口から出ないというのであれば、自分がイエス・キリストを愛しているか、イエス様を第一として生きているかを見つめなおしましょう。イエス様は、目に見えないお方ですから、イエス様を見ることは普通なら不可能です。しかし、私たちは与えられた聖霊様の助けをいただき、聖書のみことばを通してイエス様を見ることができます。どうぞ、みことばを通してあらわされるイエス様に目をとめて、イエス様を信じて従いましょう。そして、私たちも当時の信徒と同じように、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍った信仰生涯を歩ませていただきましょう。