2024年6月30日「イエス様を遣わした方」木下淳夫 師

タイトルイエス様を遣わした方
聖書ヨハネ8:12~8:20
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは「イエス様を遣わした方」です。

 イエス様がこの地上を歩まれた時も、現代も変わらないのは、イエス様について多くの人が誤った認識をしているということです。当時は、イエス様をヨセフの子、また大工の子と認識していました。現代でも、キリスト教の教祖と言われることがあります。しかし、イエス様はご自身をお遣わしになった方が、天地万物を創造した主なる神様であることを繰り返し述べておられます。このことを、覚えてイエス様のみことばに応答したいと願っています。

ヨハネの福音書8章12~18節

12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

13 そこでパリサイ人はイエスに言った。「あなたは自分のことを自分で証言しています。だから、あなたの証言は真実ではありません。」

14 イエスは答えて、彼らに言われた。「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は真実です。わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ行くかを知っているからです。しかしあなたがたは、わたしがどこから来たのか、またどこへ行くのか知りません。

15 あなたがたは肉によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。

16 しかし、もしわたしがさばくなら、そのさばきは正しいのです。なぜなら、わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣わした方とがさばくのだからです。

17 あなたがたの律法にも、ふたりの証言は真実であると書かれています。

18 わたしが自分の証人であり、また、わたしを遣わした父が、わたしについてあかしされます。」

(新改訳第三版)

イエス様が「わたしは~です」とおっしゃったみことばはとても重要です。それは、イエス様がどのようなお方であるのか、ご自身で証してくださったみことばだからです。

12節のイエス様の証は、イエス様が世の光であるということです。天地創造のはじめ神様は光あれとおっしゃいましたが、イエス様は、その光を創造したお方であり、光の源であるお方です。その光は物質的に明るくするだけではなく、霊的な光です。つまりいのちを与える光です。だからこそ、イエス様に従うなら、永遠の滅びという暗闇を歩むことはなく、いのちの光、永遠のいのちを持つことができると、イエス様は約束してくださいました。

ところが、パリサイ人は、イエス様がご自身について証言していることに対して、それは真実ではないと反論しました。自分で自分のことを証言しても、何も証拠がないので信じることができないということです。

 それに対してイエス様は、ご自身の証言が真実である理由として、「わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ行くかを知っているからです。」と、おっしゃいました。そして、暗闇の中を歩むことになるのか、いのちの光を持つようになるのかを決めるさばきを下すのが、イエス様だけでなく、イエス様を遣わした方が一緒にさばきを下すのだとおっしゃいました。もちろん、さばきを下すお方は主なる神様であることを誰もが知っています。つまり、イエス様はご自身が来られたのは、ガリラヤからではなく、主なる神様から遣わされたのだとおっしゃいました。そして、この地上の働きを終えたら天に帰られるとおっしゃいました。また、遣わされた人というのは、すべての権限を与えられた代理人ですから、イエス様がご自身を証するということは、神様を証することと同じです。

ヨハネの福音書8章19~20節

19 すると、彼らはイエスに言った。「あなたの父はどこにいるのですか。」イエスは答えられた。「あなたがたは、わたしをも、わたしの父をも知りません。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。」

20 イエスは宮で教えられたとき、献金箱のある所でこのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。

(新改訳第三版)

 パリサイ人たちは、イエス様をあくまでヨセフの子イエスとしか見ていません。それに対して、イエス様はパリサイ人たちが、イエス様についても、イエス様を遣わした父なる神様に対しても無知であることを指摘されました。もしも、イエス様のことを神様がお遣わしくださった約束のキリストとして認めたなら、イエス様が語られることがすべて一つにつながり、真理を知り、いのちの光を持つことができたのに、彼らはイエス様を知ろうとはせず、礼拝しているはずの父なる神様をも知ることができなくなっていました。それどこから、彼らはイエス様を自分たちの地位を脅かす邪魔者とみなして、捕らえて殺そうとしていました。ただ、神様がお定めになった十字架の時はまだ来ていませんでしたので、この時はだれもイエス様に手をかけることはできませんでした。

ヨハネの福音書8章12節

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

(新改訳第三版)

 教会では、神様を信じるということが当たり前のように言われます。しかし、日本では八百万の神々と言われるほど、神という言葉は身近にあります。ですから、神様を信じていますという信徒であっても、その神様がどのようなお方なのかはっきりと認識できていないかもしれません。だからこそ、私たちは父なる神様を証してくださったイエス様を知る必要があります。イエス様を知ることによって、イエス様をお遣わしになった父なる神様をも知ることができます。そして、イエス様が語られたみことばを、神様のみことばとして受け取ることができます。

 パリサイ人たちは、イエス様を目に見える情報だけで、ヨセフの子として認めていたために、暗闇の中を歩むことになりました。みなさんは、そのような失敗をしてはいけません。現代でも、さまざまな情報が、私たちの目をイエス様から逸らせようとします。イエス様に従わないなら、やみの中を歩むことになります。また、イエス様を信じた後も、イエス様にとどまり続けないなら、良い実を結ぶことはできません。一人ひとりが、イエス様がまことの神様から、永遠のいのちを与え、また、さばきを下す権威を授けられて遣わされたお方であり、イエス様を通してでなければ、だれも父なる神様のもとに行くことができないことを覚えて、イエス様の約束のみことばを受け取りましょう。