2024年11月24日「イエス様はまことの神である」木下淳夫 師

タイトルイエス様はまことの神である
聖書ヨハネ10:31~39
説教者木下淳夫師

 今日は、「イエス様はまことの神である」というテーマです。

 私たちに与えられた福音は、自分の罪を認め、イエス様が私たちの罪を背負って十字架で死んでくださり、墓に葬られ、三日目によみがえられた救い主、まことの神様であることを信じるなら、神様に対して犯していたすべての罪が赦され、永遠のいのちを持ち、天の御国に入ることができるという約束です。

 私たちは、この救いの福音を信じて救われました。そこで、今度は私たちが、イエス様こそまことの神様であることを証していきたいと願っています。

ヨハネの福音書10章31~36節

31 ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。

32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」

33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」

34 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った、おまえたちは神々である』と書いてはいないか。

35 もし、神のことばを受けた人々を、神々と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、

36 『わたしは神の子である』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している』と言うのですか。

(新改訳第三版)

 宮きよめの祭りのころ、ユダヤ人の指導者たちは、イエス様をソロモンの廊で取り囲み、イエス様が話す言葉から罪を見つけて捕らえようとしました。そこで、イエス様が「わたしと父とは一つです」とおっしゃったので、彼らはイエス様が主を自分の父と呼び、また、自分を主と一つである者、つまり、自分も神であると言ったことで、イエス様を石打にしようとしました。

 人間は神様に造られた者ですから、神であるはずがありません。それにもかかわらず、自分を神であるとするのは、神様を冒涜していることになります。ただ、イエス様は、まことの神様ですから、イエス様がご自身を神である、父なる神様と一つであると言っても、それは真実です。決して冒涜ではありません。

このように、真実を知らない者は、自分の考えに固執して、真実を知ろうとしない者は、真実を聞いても間違った解釈をします。ユダヤ人の指導者たちは、律法を学んでいたにもかかわらず、約束のメシアであるイエス様を、神様から遣わされた方、まことの神様であると信じて受け入れることができませんでした。

 イエス様は、ユダヤ人たちのかたくなな心をご覧になり、ユダヤ人のラビたちが人々に説明するように、律法を引用して彼らのあやまちを指摘し、ご自身がまことの神であることを示そうとされます。

 イエス様は詩篇82篇6節を引用して、この地上に神様のさばきを行う代理人として任命された人々を、神様が「おまえたちは神々である」とおっしゃったのなら、神様から聖別されて遣わされたイエス様が、自分のことを神と呼んでも冒涜ではないと説明されました。

ヨハネの福音書10章37~39節

37 もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じないでいなさい。

38 しかし、もし行っているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」

39 そこで、彼らはまたイエスを捕らえようとした。しかし、イエスは彼らの手からのがれられた。

(新改訳第三版)

 イエス様は、ユダヤ人の指導者たちに、何度ご自身が神様から遣わされたキリストであると証言しても、信じてもらえないので、言葉ではなく、わざを見て信じるようにとおっしゃいました。このような奇跡を通して、父なる神様がイエス様にいてくださって、みわざを行われたことを認めるように、イエス様はおっしゃいました。そして、イエス様ご自身が、父なる神様と一つであることを、自分の目で確かめて悟り、彼らもイエス様をキリストと信じる信仰によって神様の恵みを知るようになることを、イエス様は願っておられました。

 しかし、彼らはかたくなにイエス様を拒否してしまいました。

ヨハネの福音書10章38節

 「父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」

(新改訳第三版)

ユダヤ人の指導者たちは、イエス様をまことの神様とは認めませんでした。日本人のキリストについての理解も、このような側面があります。キリスト教を学校で学んだとしても、そこでイエス様がまことの神様であるということが教えられません。そのため、最も重要な福音が伝わりません。

イエス様は、かたくなな人々に、まず事実を確かめるように導かれました。それから、信仰によってイエス様がまことの神であることを知るように導かれました。具体的に、イエス様がなさったことが神様から出た良いわざなのか、そうでないのかを自分たちで判断することです。そして、良いわざであると認めたなら、信仰によって応答し、救いの恵みを受け取ることです。

イエス様はこの時代において、救いに与った私たちを神様の代理人として、世の光としてお遣わしくださっています。それは、私たちがイエス様を証するためです。ですから、使徒たちがイエス様の十字架と復活を大胆に宣べ伝えたように、私たちもイエス様はまことの神であり、救い主であるということを宣べ伝えてまいりましょう。