タイトル | 計画変更の背後にあるもの |
聖書 | コリント人への手紙手紙第二 1:15~20 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「計画変更の背後にあるもの」というテーマです。
今、私たちは新型コロナウイルスの影響で、さまざまな計画を変更しなければならなくなっています。しかし、自分たちの計画を変更しなければならない時は、神様の不思議な導きを知る機会でもあることを覚えて、希望を持ちたいと願っています。
コリント人への手紙第二 1章15〜16節
15 この確信をもって、私は次のような計画を立てました。まず初めにあなたがたのところへ行くことによって、あなたがたが恵みを二度受けられるようにしようとしたのです。
16 すなわち、あなたがたのところを通ってマケドニヤに行き、そしてマケドニヤから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思ったのです。
(新改訳第三版)
パウロが立てた計画は、コリントを経由してマケドニヤに行き、マケドニヤからコリントに帰ってから、ユダヤへ行くという経路です。パウロがこの計画を立てた理由は、コリントの人たちが恵みを二度受けられるようにしたかったからです。それほどパウロはコリントの兄弟姉妹を気にかけていたことがわかります。
コリント人への手紙第二 1章17〜18節
17 そういうわけですから、この計画を立てた私が、どうして軽率でありえたでしょう。それとも、私の計画は人間的な計画であって、私にとっては、「しかり、しかり」は同時に、「否、否」なのでしょうか。
18 しかし、神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「しかり」と言って、同時に「否」と言うようなものではありません。
(新改訳第三版)
パウロは、これほどコリントの兄弟姉妹を愛し、恵みを分かち合おうと願っていたのですが、計画通りには行動できませんでした。この手紙がマケドニヤ地方のピリピから書かれたと考えられていますので、パウロがコリントを経由しないでマケドニヤへ行ったか、パウロがコリント経由でマケドニヤへ行ったけれども、なかなかコリントに立ち寄っていないか、どちらにしても、パウロは計画通りに行動していませんでした。ですから、「パウロは約束をしても守らない」と、不満を持つ人もいました。コリントの人たちから、ぜひ来てくださいと言われて、パウロは、口では「はい」と言うが、行動は「いいえ」になっている、パウロは誠実ではないと不平をいう人たちがいました。
しかし、パウロは12節で次のように言っています。
コリント人への手紙第二 1章12節
12 私たちがこの世の中で、特にあなたがたに対して、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心のあかしするところであって、これこそ私たちの誇りです。
(新改訳第三版)
パウロは、自分の言葉に嘘はない、自分は神様の恵みによって行動し、神様の導きに忠実に従っているので、「はい」と「いいえ」を同時に含むようなことはないと答えています。
計画を変更した理由は、この後23節で「私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたに対する思いやりのためです。」と記されています。
コリント人への手紙第二 1章19〜20節
19 私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり」と同時に「否」であるような方ではありません。この方には「しかり」だけがあるのです。
20 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。
(新改訳第三版)
パウロは、この世にあって、特に教会の兄弟姉妹に対して、神様の恵みによって行動していると断言しました。それは、パウロが損得に関係なく、福音を宣べ伝え、みことばを教え続けた生活を思い出せば、誰もが納得できました。
そのパウロが従い、コリントの人たちにも宣べ伝えた神の御子イエス・キリストは、「しかり」と同時に「否」であるような、矛盾を含むお方ではありません。決して約束を破るお方ではありません。イエス様は、メシアについて預言されたことをすべて成就されたお方です。それは、イエス様が昇天されたのちに起こると約束されていることも、必ず成就することを意味します。だからこそ、パウロは将来どうなるかわからない伝道旅行においても、すべてを最善にしてくださるイエス様に従いました。イエス様が、約束してくださるなら、それは間違いなく「しかり」となるからです。
パウロは旧約聖書の預言の成就、また、復活のイエス様との交わりを通して、イエス様は、「しかり」と同時に「否」であるようなお方ではないことを知っていました。だからこそ、パウロはイエス様に従い、イエス様を通して与えられた救いを感謝し、与えられるみことばに「アーメン、その通りです」と言って、忠実に従い、自分が賞賛されるのではなく、神様に栄光をお帰しする生涯を歩んでいました。
今日、私たちが教えられることは、計画通りに実行することよりも、その計画を導いてくださっている神様がおられることを認めることです。そして、計画が順調に進む時も、変更を余儀なくされる時も、神様が共にいてくださり、私たちを助けてくださっていることを忘れないことです。
コリント人への手紙第二 1章20節
20 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。
(新改訳第三版)
神様の約束、聖書のみことばは、本当に信じて従う価値があるのかと疑う人もいるかと思います。しかし、人となってくださった神の御子イエス・キリストにより、神様の約束が真実であることは明らかにされました。ですから、私たちは、みことばに信頼することができます。
まだまだ困難が続きそうですが、人間的な知恵だけに頼り、自分の願う結果がすべてだと考えないで、神様のみ声に耳を澄まして、聖霊様の導きに従いましょう。計画が思い通りの結果を残さなかったとしても、神様の真実は変わりません。その予想しなかった結果を通して、神様は栄光を現してくださいます。与えられたみことばに、イエス・キリストにあって「アーメン」と応答して、神様に栄光をお帰ししてまいりましょう。