2026年8月23日「約束された契約」木下淳夫 師

タイトルダビデに約束されたキリスト
聖書エレミヤ 31:31~34
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「約束された新しい契約」です。

 先週のダビデ契約に続いて、旧約聖書に記されている重要な契約についてご一緒に学ばせていただき、この契約が成就していることを再確認しましょう。そして、真実な神様のみことばに聞き従い、決して揺るぐことがない主により頼んで歩んでいきたいと願っています。

エレミヤ書 31章31~34節

31 見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。

32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──【主】のことば──。

33 これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──【主】のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

34 彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『【主】を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ──【主】のことば──。わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」

(新改訳2017)

 エレミヤ書では、「【主】のことば」という言葉が、たくさん記されています。これは、預言者エレミヤが、自分の考えではなく、主から啓示を受けたことを明らかにしている大切な宣言です。

 岡村松雄先生は、「最近の牧師は、「主は言われる」というメッセージをしない」と、よくおっしゃっていました。説教者は自分の主張や学説ではなく、主が語っておられることを聴衆に語るべきだということを、私もよく聞かせていただきました。ですから、エレミヤ書を読むと、当時教えていただいたことが思い出されます。

 さて、エレミヤがイスラエルの民に伝えた主なことは、当時の状況におけるイスラエルの民に対する警告でした。当時のイスラエルは、バビロンの脅威におびえ、エジプトを頼ろうとしていました。彼らが主により頼まず、人間に頼ろうとしたことを、主はエレミヤを通して戒めておられました。

 そのような中で、この31章の新しい契約が与えられています。イスラエルは、出エジプトの時にシナイ山で律法を与えられました。主はその律法を守ることでイスラエルの民が神の国に入ることができると約束してくださいました。神の国に入るために、このような条件が設けられたのは、人間には罪があるからです。聖なる神様の御許に、罪ある人間は近づくことができません。ですから、主はイスラエルの民が罪を赦され、きよめられるために、律法を守る道を備えてくださいました。

 ところが、イスラエルの民は、モーセの時代から、このエレミヤの時代にいたるまで、律法を全うすることはできませんでした。そのため、イスラエルは神様からのさばきを受けました。それでも、主は彼らに回復の時を用意してくださいました。それが、新しい契約です。

 新しい契約は、モーセがシナイ山で十戒を記された石の板を与えられたようなものではありません。一人ひとりの心に律法を書き記すと約束されています。石の板に書かれた律法や、巻物に書かれた律法は、その文字を読むことができる人が、民衆に教えなければ神様の御心は伝わりませんでした。しかし、一人ひとりの心に、主が直接律法を与えられたなら、誰かほかの人に神様の御心を教えてもらう必要はありません。そこには、身分の高い者が低い者を教えるというような関係はありません。一人ひとりが神様の子どもとして、主ご自身から真理を教えていただくので、それぞれ隣人や兄弟姉妹に「主を知れ」と言って教えることはありません。

 ただ、覚えておかなければならないのは、主が一人ひとりの心に律法を置いてくださると言っても、その人に罪があるなら、律法がとどまることなどありません。罪の本質は、自己中心だからです。罪ある人間の心に、律法が与えられるために絶対に必要な条件は、人間の罪が赦されることです。ですから、「わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」と、主が罪の赦しを宣言しておられます。

エレミヤ書 31章34節

わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。

(新改訳2017)

 新しい契約は、主がイスラエルの不義を赦し、罪を思い起こさないという、主のあわれみがとても重要な意味を持っています。このあわれみは、イエス様の十字架によるあがないという形で成就しました。そして、このイエス様によるあがないの恵みは、イスラエルの民だけでなく、すべての人に及びました。

 今、私たちもイエス様が私たちの罪を背負い十字架でいのちを捨ててくださったことにより、主に対する不義が赦され、罪をきよめていただいています。そして、約束の御霊が私たちのうちに与えられ、主の御心を教えていただくようにしていただいています。ですから、私たちは、主が私たちの罪を赦し、恵みにより心に律法を書き記し、神様の子ども、主の民にしていただいたことを覚えて、主の御前にへりくだりましょう。

 昔、イスラエルの民が、人間により頼み失敗したことを覚え、困難な時こそ主により頼み、主のみことばに聞きしたがってまいりましょう。当時の椅子すらエルに対して、主はバビロンに降伏することを命じられました。このように、主は私たちの思いと全く違う道を示されることがあります。しかし、主は私たちに幸いを与える計画を持っておられることを覚えましょう。

主は一人ひとりが主に応答できるように、御霊によって、私たちの心に主の御心を書き記してくださいます。自己中心によって、聖霊様が働いてくださる場所をなくすことがないように、いつもイエス様の十字架の恵みを感謝して、与えてくださるみことばに聞き従いましょう。