2026年10月18日「真の繁栄をもたらすもの」木下淳夫 師

タイトル真の繁栄をもたらすもの
聖書黙示録 3:14~22
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「真の繁栄をもたらすもの」です。

 私たちは、自分の生活を豊かにするために、どんな仕事をしようかと考えます。また、生活を豊かにすることは、個人のレベルにとどまりません。会社や国においても、どうすれば豊かになるか考えています。また、教会でも、どうすれば豊かになるのか考えます。今日は、私たちの生活に密接にかかわる豊かな生活、真の繁栄をもたらすものについて、みことばから学ばせていただきたいと願っています。

ヨハネの黙示録 3章14~19節

14 また、ラオディキアにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、確かで真実な証人、神による創造の源である方がこう言われる──。

15 わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。

16 そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。

17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。

18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。

19 わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。

(新改訳2017)

紀元90年ごろのラオディキアは、主要街道の交差点に位置し、とても繁栄していました。特に金融業の中心地として知られ、多くの富が集中していました。産業としては、黒い羊毛が地中海世界でブランド品として珍重されていました。また、医療・製薬の中心地でもありました。

 このような豊かな町ではありましたが、偶像礼拝を避けるクリスチャンは他の町と同様、困難な生活を強いられました。しかし、ラオディキアの信徒たちは、自分たちは富んでいる、豊かになった、足りないものはないと言っていますから、この町の価値観に妥協した生活をしていたと考えられます。

この町の教会に、イエス様はご自身がアーメンであり、確かで真実な証人であると宣言されました。信徒たちはうわべだけの信仰生活を送り、中身のないアーメンを繰り返していたのでしょう。イエス様は、彼らがアーメンというとき、イエス様ご自身を通して信仰告白していることを思い起こさせています。そして、ご自身が確かで真実な証人であるとおっしゃって、ご自身の証言に偽りがないこと、みことばが真理であることを明らかにしておられます。また、ご自身が万物を創造したことも述べておられ、物質的な豊かさはイエス様が与えてくださるものであることを思い起こさせています。

ラオディキアの信徒は、この町の人たちが経済的繁栄を第一に求めていたことに流され、裕福な生活をすることが自分たちにとっても神様の祝福だと考えるようになっていたと思われます。ですから、イエス様は、彼らが神様の約束に立ち返り、偽りの繁栄ではなく、真実のみことばによって与えられる祝福を受け取ってほしい、イエス様ご自身に立ち返ってほしいと願っておられます。

信仰を持っていても、この世の価値観で生きていると、その信仰は生ぬるくなります。熱い温泉も、冷たい水も、何もしないで放置していると生ぬるくなるのと同じです。イエス様は、彼らがこの世の価値観に流されて神様の祝福を受け取っていないのに、この世のむなしい富を追い求め、みじめな者、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることがわかっていないことを指摘し、この世の物質的な富を求めるのではなく、主から与えられる祝福を受け取るように命じておられます。

ヨハネの黙示録 3章20~22節

20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせる。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。

22 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』」

(新改訳2017)

ラオディキアの信徒たちは、自分の生活を守るために、この世の価値観に従って生きることを選んでいました。その結果、気がつかないうちにイエス様を心の中から閉め出していました。それでも、イエス様は彼らを見捨てることはなさいません。彼らの心の戸の外に立って、その戸を叩き、彼らが自分から戸を開くのを待っておられます。それは、彼らと食事をするためです。食事をするということは、彼らとの交わりを回復し、彼らを神の家族として受け入れるためです。そして、この交わりを通して、彼らがもう一度イエス様こそ唯一の救い主、祝福の源であると信じるようになることを願っておられます。

そして、イエス様が信徒に用意しておられる真の繁栄が記されています。それは、イエス様とともに、イエス様の王座に着かせていただくということです。

この世のむなしい繁栄ではなく永遠に残る繁栄を、イエス様は約束してくださっています。

ヨハネの黙示録 3章20節

見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。
だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

(新改訳2017)

 私たちもイエス様を心の中から閉め出していることはないでしょうか。イエス様を見ないで口先だけの「アーメン」を繰り返していないでしょうか。この世の価値観を優先するとき、主のみことばはないがしろにされ、イエス様が見えなくなってしまいます。自分の前に主ご自身ではなく、お金や名誉が置かれたら、当然信仰は生ぬるくなります。イエス様は、私たちが道を外れているときには叱責し、懲らしめられます。それは、すべて私たちが信仰の勝利を得て、イエス様と一緒に王座に着くためです。ですから、聖霊様に罪を指摘されたときには熱心になって悔い改めましょう。そして、神様のみことばを、いつも心に住まわせて、イエス様に聞き従いましょう。みなさんがいつもイエス様と一緒の食卓で食事をして、まことの繁栄を受け取ることを願っています。