2025年6月22日「イエス様を見よう」木下淳夫 師

タイトルイエス様を見よう
聖書ヨハネ14:7~11
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「イエス様を見よう」です。

 今、世界中で争いが起き、日本は経済状況も悪く、身近なところでも問題がたくさんあります。このように、私たちが直面する試練について、聖書は次のように言っています。

コリント人への手紙第一 10章13節

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

(新改訳第三版)

このように、神様は私たちが試練に会う時でも、耐えられるように、脱出の道も備えてくださっていることを覚えましょう。そのときに重要なことは、この脱出の道を備えてくださっているのが、神様なので、神様により頼むことです。ただ神様は霊であるお方なので、人間の目には見えません。そこで、神様はご自身のことばを人々に伝えるため、また、ご自身の愛を示すため、人間の姿を取ってくださいました。それがイエス様です。ですから、イエス様は弟子たちに「わたしを見なさい」と、「わたしを知りなさい」「わたしと一つになりなさい」と命じておられます。

私たちも、イエス様が語られるみことばを聞き、イエス様を見て、イエス様を知る、つまり、イエス様と一つにしていただき、試練にあった時も耐え忍びたいと願っています。

ヨハネの福音書14章7~11節

7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」

8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」

9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。

10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。

11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。

(新改訳第三版)

 7節の解釈について、すこし難しい話をします。今まで、多くの学者や牧師は、ギリシャ語の動詞の活用を過去形、現在形、完了形と、時間的に分類して理解しようとしてきました。しかし、他の学者は動詞の活用は、話し手が動詞の意味を表現するために変化させていると考えています。私もそのように考えてギリシャ語、ヘブル語の聖書を読んでいます。

また、ここでの「知る」は、知識として知るのではなく、信仰によって結び合わされるということを意味しています。そのような観点から7節のみことばを、私なりに翻訳すると次のようになります。

もしあなたがたが、わたしを神の御子と知って信仰によって結び合わされているのなら、あなたがたはわたしの父とも信仰によって結び合わされます。

そして今から、あなたがたは父なる神様と結び合わされます。そして、父なる神様を見ます。

 イエス様は、すべての人が父なる神様の御許に立ち返るために、この世に来られました。だからこそ、イエス様は、父なる神様と一つであるイエス様ご自身を見ること、イエス様を知ること、つまり、イエス様と信仰によって結び合わされ、一つになることを命じておられます。

 神様は存在すると信じても、見たことも聞いたこともない神様を正しく理解することはできません。また、神様の御許に行くことはできません。だからこそ、イエス様は、すべての人を神様の御許に導くために、ご自身が道となり、真理となってくださいました。イエス様が語ってくださったみことば、示してくださった行い、そして、奇跡のすべては、神様が私たちを罪から救うため、私たちに与えられたものです。

ヨハネの福音書14章11節

わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。

(新改訳第三版)

 イエス様は、ご自身が語られたことばを信じるように命じられました。それは、今、聖書として私たちにも与えられています。それでも、イエス様を信じることができないなら、イエス様がなさったわざによって信じなさいと命じられました。イエス様がどれほど、あなたを愛しておられるのか、あの十字架でご自身のいのちを捨ててくださったことを見て、神様の愛を信じなさいと命じておられます。

 私たちが試練に会って絶望するときは、いつもイエス様から目を離しているときです。この世でも脱出の道を備えてくださり、天国への道となってくださっているイエス様から離れてしまったなら、私たちは暗闇に閉じ込められて動けなくなります。救いの道を探しているのなら、イエス様が語られるみことばを聞きましょう。正しい道を歩みたいなら、イエス様とともに歩みましょう。イエス様を見上げて歩むなら、どんな試練があっても、かならず道が開かれていることを知ることができます。なぜなら、それが真実な神様の約束だからです。