私が教会に行くようになったキッカケ(Iさん)

貞光キリスト教会で1957年に洗礼を受け、2019年までイエス・キリストを愛して、感謝の生涯を送られたIさんが2004年に書かれたお証です。

 

私は見知らぬこの地へ来て、ここに溶け込めず、独り悶々としていたとき、偶然小学校の講堂で、キリスト教の集まりがありました。私は何も分からずに足を運びました。

そのときに話された聖書の言葉は覚えていませんが、人間は皆罪人で、心の中にはどす黒い血が流れていて、誰一人として、私の心はこんなにきれいですと言って見せられるような人は一人もいないというような話だったと思います。

ではその汚い心をどうしたらきれいにできるか、それは自分では絶対できないから、イエス様を信じることと申されました。そのときから神様は私のような者を憐れと思し召して選らんでくださったのだと思います。

それ以来心惹かれて教会へ通い続けています。

イエス様の愛とは

聖書には「すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができない。」と書かれています。しかし、神様はそんな罪人である私たちを放っておかず、イエス様を通して「私はあなたを愛している」と教えてくださいました。

神様が私たちに求めておられるのは、自分の力で良い行いをしようと努力することではありません。自分が無力な罪人であることを認め、イエス様の十字架の愛を信じることです。

そして日々神様の愛に感謝し、み言葉に触れ、祈りと賛美を捧げることで、私たちは神様の前で清くしていただけるのです。

 

オアシスとなる場所

神様は目で見ることはできません。だから、私たちは見えないものに目を留めることを学びます。教会でも自由献金はありますが、礼拝に集うことで金品を強要されることはありません。

お金がないからといって教会に集うことを拒絶されることもありません。教会は、神様の愛を求める人が安心して集うことができる場所です。

貞光キリスト教会は、人数が少ない小さな教会ですが、訪れる人の心のオアシスとなる場所でありたいと願っています。礼拝にいつでもお気軽にお越しください。