2023年9月17日「イエス様の喜び」木下淳夫 師

タイトルイエス様の喜び
聖書ヨハネ4:27〜38
説教者木下淳夫師

 今日は、「イエス様の喜び」というテーマです。

 みなさんの喜びはなんでしょうか?イエス様がこの地上の生涯で、ご自身の喜びとされたことを学び、神様の子どもにしていただいた私たちも、イエス様の喜びを一緒に喜びたいと願っています。

ヨハネの福音書4章27〜30節

27 このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。

28 女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。

29 「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」

30 そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。

(新改訳第三版)

 弟子たちは、買い物から帰ってくると、イエス様がサマリヤ人の女性と話をしていたので、不思議に思いました。ユダヤ人はサマリヤ人と関わりを持つことを避けていましたし、ましてや公の場で男性が女性と話をすることなどあり得なかったからです。ですから、弟子たちはイエス様がよほどお腹が空いていたので、この女性に食べ物を求めたのではないかと考えたのでしょう。しかし、だれもイエス様に直接尋ねることはしませんでした。

 サマリヤ人の女性も、弟子たちが帰ってきたので、これ以上イエス様と話をすることはできないと思ったのでしょう。その場に、自分の水瓶を置いて町へ行きました。彼女は、人目を避けて水を汲みに来たのに、水瓶を置いて人々に知らせるために町へ行きました。このことから、イエス様との会話で、彼女が全く新しく変えられたこと、彼女のうちに生ける水が流れ出したことがわかります。彼女は、町にいる人たちに「来て、見てください。」と、自分が出会った人こそ、待ち望んでいたキリストに違いないと伝えました。すると、町の人々はイエス様の方へやって来ました。

ヨハネの福音書4章31〜38節

31 そのころ、弟子たちはイエスに、「先生。召し上がってください」とお願いした。

32 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」

33 そこで、弟子たちは互いに言った。「だれか食べる物を持って来たのだろうか。」

34 イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。

35 あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。

36 すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入られる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。

37 こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る』ということわざは、ほんとうなのです。

38 わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」

(新改訳第三版)

 サマリヤ人の女性が去ってから、弟子たちは、自分たちが買って来た食べ物をイエス様に差し出したのですが、イエス様は「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」と、おっしゃいました。これには、弟子たちも驚きました。そのような弟子たちを見て、イエス様はその食物について説明してくださいました。

ヨハネの福音書4章34節

「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」

(新改訳第三版)

 食物は肉体を養います。しかし、霊は霊的な食物でなければ養うことができません。霊的な食物は、神様から与えられるものです。そして、与えられたものを受け取ることによって、初めて霊が養われます。イエス様は、ご自身がまことの神様ですから、私たちのように父なる神様にすべての恵みを求めることはなさいません。ただ、イエス様が父なる神様からこの世に遣わされた目的を行い、みわざを成し遂げることこそ、父なる神様との霊的な完全性を保つことでした。父なる神様のみこころ、なすべきみわざとは、すべての人を滅びから救い、永遠のいのちを与えることです。

 弟子たちは、イエス様が約束のキリストとして来てくださったことを喜び、救いの時は近いと考えていました。しかし、全世界の人々を救うという神様のみわざがすでに起こっていることに気づいていませんでした。ですから、イエス様は、「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」とおっしゃいました。

 そう言われてイエス様が指し示した方に目をやると、大勢のサマリヤ人がイエス様のもとにやって来ていたのでしょう。弟子たちには、信じられない光景だったと思います。イエス様は、一人の女性を通してサマリヤに救いの種を蒔いてくださいました。その種は、あっという間に多くの人に広がり、多くの人が天の御国に入ることを望んで、イエス様と弟子たちのもとにやって来ました。イエス様は、永遠のいのちに入れられる実である救いを求める人々を、弟子たちが導いて神様から報酬を受けるのだと教えられました。それによって、福音の種を蒔いてくださったイエス様と、その福音を受け入れた人々に天国の門を開く弟子たちが共に喜ぶことになると、イエス様は教えてくださいました。

ヨハネの福音書4章35節

目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。

(新改訳第三版)

 イエス様が喜ばれることは、イエス様が成し遂げてくださった救いのみわざを通して、永遠のいのちを求める人たちが、弟子たちを通して天国へ入ることです。イエス様は、人々が救われることを喜ばれます。それだけでなく、人々を救いに導く働きをする人が、イエス様の喜びをいっしょに喜んでくれることを望んでおられます。イエス様の弟子になった人は、みことばを学び、神様の子どもとしてイエス様の似姿へと成長するのですが、福音を宣べ伝えるという働きも与えられています。それは、義務ではありません。イエス様が、救われる人が起こされる喜びを一緒に喜んで欲しいからです。私たちも、イエス様の喜びを自分の喜びとするために、一人でも多くの人に、イエス様が成し遂げてくださった十字架と復活のみわざを宣べ伝えてまいりましょう。