
タイトル | 罪人を招くための降臨 |
聖書 | マルコ2:13~17 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今年のクリスマスのテーマは「救い主降臨」です。イエス様は、まことの神様であるにもかかわらず、まことの人となってこの世に来てくださいました。当時の人々も、また、現代の私たちも、すべてを創造し、すべてを治めておられる神様が人間になってこの世に来てくださったということは、信じがたい出来事です。イエス様は、この世に来られた目的について、ご自身がその生涯の中で、何度か説明してくださっています。今年は、このイエス様が語られたみことばから、クリスマスの恵みを再確認させていただきたいと願っています。
そして、今日のテーマは「罪人を招くための降臨」です。正しいお方である神様は、この世で正しい人を神の国に招いて、罪人をさばくために来られるのが普通ではないかと思われるのですが、イエス様は、罪人を招くために来てくださったとおっしゃいました。このみことばにある神様の御愛とあわれみを、私たちも受け取って、クリスマスを待ち望みたいと願っています。
マルコの福音書5章17〜18節
13 イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群集がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。
14 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。
15 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。
16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」
17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
(新改訳第三版)
当時のイスラエルの人々の必要は大きく分けて二つありました。一つは、霊的な必要、もう一つは、肉的な必要です。霊的な必要というのは、神様のご支配、神の国に入るということです。そのために、人々はどうすれば神の国に入ることができるだろうかと、一生懸命に律法を学び、律法を全うしようとしていました。もう一つの必要は、肉的な必要です。当時はローマの支配下ですから、生活も自由がありません。病気になることもあります。他の人と関係が絶たれて孤独になることもあります。身近なとろころでは、食べ物、着る物など、経済的な不安もあります。イスラエルの人々は、さまざまな不安や恐れを抱きながら生活しなければなりませんでした。ですから、彼らはそれらから救ってくださる救い主の到来を待ち望んでいました。
イエス様は、人々の必要をよくご存知でした。ですから、イエス様が語られる神の国の教えを聞こうとする人たち、また、病気を癒してほしいと願う人たちが大勢、イエス様のもとに集まっていました。
しかし、不安や悲しみが大きいために、自分からイエス様のもとに行くこともできなかった人たちもいました。ローマから取税人という仕事をもらって、同胞からお金を取り、ローマに献上していたアルパヨの子レビ、つまり、マタイもその一人でした。
マタイは、同胞からは罪人として扱われていました。ですから、群衆がイエス様のもとで癒しを受け、恵みのみことばを聞いていると知っても、自分からイエス様に会いに行くこともできませんでした。そのようなマタイに、イエス様は「わたしについて来なさい」とおっしゃってくださいました。当時の律法の先生であるラビたちは弟子を取っていたのですが、必ず弟子になりたいと希望する人から、先生にお願いをしました。しかし、イエス様はご自身からマタイを弟子として招いてくださったのですから、マタイもとても驚いたことと思います。そして、彼はすぐにイエス様に従いました。
マタイは、イエス様に招いていただいたことをとても喜んで、イエス様を食事に招待しました。そのとき、マタイは同じ取税人の仲間たちや、罪人として人々から除け者にされていた人たちも、この食事に招待しました。イエス様は、集まっている人たちが、罪人と呼ばれて、人々から除け者にされている人たちだということを知った上で、彼らと一緒に食事をしてくださいました。食事をするというのは、仲間になるということでもあります。そうすると、一緒に食事にした人たちも、イエス様に従うようになりました。
その様子を見たパリサイ派の律法学者たちは、イエス様が罪人たちと食事をすることを非難しました。それに対して、イエス様はこのようにおっしゃいました。
マルコの福音書5章17節
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
(新改訳第三版)
この世では、神様の教えを守ることができず、正しい生き方ができない人たちが大勢います。そのような人たちは、神様の恵みを知らず、不安と悲しみの暗闇の中を歩まなければなりません。イエス様は、そのような霊的な病人である罪人たちを招くために来てくださったのだとおしえてくださいました。暗闇の中に座っていたマタイが、喜びに満ちあふれたように、イエス様は罪人たちを招いて希望を与えるために、この世に来てくださいました。
私たちも、この世で多くの悩みや不安を抱えています。自分から動くことができないほどに疲れ果てることがあるかもしれません。しかし、イエス様はそのような私たちを招くためにこの世に来てくださいました。たとえ誰からも認めてもらえないような苦しい中にあっても、イエス様は「わたしについて来なさい」と、御手を差し伸べて招いてくださいます。クリスマスの日に、イエス様が来てくださったのは、神様の愛を知らずに暗闇に座っていた私たちを招き、救うためです。今日、イエス様の招きの御声に耳を傾けて、マタイが喜んでイエス様に従ったように、私たちも従っていきたいと願います。